「望、」 望は気だるそうに返事をして、机にうつ伏せになった侭一向に動かない。 行儀が悪いと嗜めても正す気配も無かった。 夏休みが開けると直ぐに試験が始まる。 試験と言っても普段の授業をしっかり聞いていて、 夏休みの課題をきちんと済ませてたら何ら問題は無い。 しかし望の場合、全体的な成績は善い癖に、如何にも怠け癖が有る。 一夜漬け、と云う余りいいとは云い難い方法で試験を受ける事が多々有る。 元々の頭の出来はいいのだから、其れでも問題は無いと言えば其れ迄だが… その試験まであと二週間は猶予が有る。 今からバタバタと焦る必要は全くなかった。 其れでも一応、命にこうして勉強を教わりに来てると云うのは、 望なりに今迄の勉強スタイルを改善しようと試みているのか、と命は思った。 「…やる気が無いなら、部屋に戻ればいいだろ」 勉強を教えて欲しいと望が云うから、こうして時間を割いて見てやろうとしてるのに。 望は一向に取り組む姿勢を見せない。 其れ所かこうして注意をしてるにも関わらず、動く気配さえも無い。 初め、望が机にうつ伏せに成りダルそうにしているのを見て、暑い所為か、と命は思った。 (命は午前中クーラーを使用しない様にしている) そう言えば、前に望が 『私はクーラーが無ければ生きていけない人間なんです』 と云っていた事を思い出し、クーラーの電源を入れた。 其れからクーラーは切っていない。 望が居るから、クーラーは切れない。 余り好まない人工的な風が命の髪を揺らした。 『やる気が無いなら、部屋に戻ればいいだろ』 そう云った物の、望は帰る気配はなかった。 目の前で机にうつ伏せになってる望を見て、溜息を吐く。 …何がしたいんだ、全く。 口に出して語ってくれないお陰で、望の云わんとしてる事は命に少しも伝わって来なかった。 何気なく、命は望が持ってきていた夏休みの課題に手を伸ばす。 其処には一応達筆な文字で書き込みがされて有った。 ――――何だ、一応課題はやってるんじゃないか。 心中で安息の溜息を吐いたのも束の間、 よく見ると其れは問題に対する解答でない事を認識する。 何か意味の分からない言葉が散乱している。 「…望、」 声を掛けると微かに頭が動いた。 如何やら寝ている訳では無い様だ。 「一応頁を開いてるんだからちゃんと問題を解きなさい」 望はいやいやする様に首を横に振った。 「じゃあせめて落書きはするな」 今度はこくん、と頷かれた。 其処に居るのに、まるで、望は空気の様だった。 そう言えば、今日一言も望の声を聞いていない事に漸く気付く。 其れに気付くと、何かに急きたてられる様に、望の声が聞きたくなった。 昨日聞いたばかりの声なのに、何故だか酷く懐かしく、恋しく感じた。 「午前中はちゃんと勉強してるのか、」 兄の景にしろ望にしろ、ほっとくと大分自堕落的な生活を送る。 下手したら昼夜が逆転する事も少なくない。 全く命には理解が出来ない生活サイクルだった。 「もう少し早めに起きて、午前は課題をするとか決めたら如何だ」 望は命の言葉を一切取り合わなかった。 机にじっとうつ伏せになった侭、動かない。 命は其の様子に苛立った。 「顔を上げろ、」 苛立ちを含めた、声色。 望は緩慢な動きで漸く顔を上げ、命をじっと見詰めた。 見詰めるだけ。 何も言葉は紡がない。 「…クーラーの温度、もっと低い方がいいのか?」 其の質問にも望は答えなかった。 只、命を見詰めるだけ。 怒っている訳では無い。 望の感情の起伏は、割と解り易い。 じゃあ何を意図して返答をしないと云うのか。 何か伝えたい事が有るんだろうか。 だとしたら、聞きたい。 望の口から、言葉を、聴きたい。 望の声を、聴きたかった。 「望、」 望は答えない。 黙って、言葉の続きを促す様に、命を見詰める。 只、見詰めるだけ。 「黙ってても何も分からないだろう」 其れでも、望は命を見詰めるだけ。 酷く、何かを伝えた気に。 深い瞳孔に、命を映す、だけ。 もどかしかった。 望が何を考え、自分を見詰めているのか、 如何しようもなく、知りたかった。 其の声で聴きたかった。 「望、何を考えてるのか喋ったら如何だ」 苛立ちを隠せずに。 命は開いていた課題を音を立てて閉めた。 「何が、言いたいんだ?」 手にしていた課題を机に叩きつけた。 パンッと乾いた音が、無音の室内に響いた。 其の行動に望は微かに目を丸くした後、 不意に口を開く。 「…好きです」 一瞬、命の時が止まる。 沈黙が流れた。 「好きです、と伝えたかったんですが…」 望はばつが悪そうに眉尻を下げて、命を覗き込んだ。 何を云われたのか漸く理解した後、一気に身体が火照る様に熱くなる。 「『目は口程に物を言う』って云うじゃないですか。…中々伝わらない物なんですね」 命は咄嗟に顔を反らし、無意識に冷房のリモコンに手を伸ばしていた。 言葉が出てこない。どんな風に振舞っていいのか分からない。 真っ白になった頭で咄嗟にとった行動だった。 身体の熱はどんどん上昇していく。 早く、冷やさなくては 「ねぇ、命兄さん、伝わりませんでした?」 更に追い討ちを掛ける様に望は言う。 命の様子を窺う様に、顔を覗き込んだ侭で。 視線の端に望を映す。 望は微かに、笑っていた。 其の笑みは、酷く、小悪魔的だった。 まるで全てを見透かされてる様な、そんな、笑顔。 「…伝わるか」 一言言い捨て、命は冷房の温度を、下げた。 い、一応これ命望なんですよ… |