近付いた分だけ、遠ざかってしまう。
それはまるで、繋がりや絆迄をも、無くしたと、
錯覚させた。





―――― 同 じ 夜 ―――― 






俺が命を抱き締めた日から、二日後。


律儀にも命は俺の元へとやってきた。
こうして命は週に1・2回は家へやって来て、
俺の生存確認を済ませた上で、部屋の整理をしてくれる。

何の見返りも求めずに。
只、黙々と。


命が訪れた瞬間。

声を掛けようとして、

言葉を失った。
命も同じだったらしく、小さく一礼しただけで、お互いに一言も口を聞かなかった。


別にこんな事は多々有る事だ。
俺が作品の製作に打ち込んでる時は、
命は何時の間にかやって来て、
気付かない内に帰ってる事なんか、よく有った。

酷い時なんか、
部屋が綺麗になってる事で『命が来てたのか』と気付く事さえ有った。


何時もは言葉を交わさない事が重いなんて思った事は、ない。
だけど今日は、

沈黙に、押し潰されてしまいそうになった。


慣れない胃の痛みに。
いっその事、この間の事を謝ってしまおうかと思った。


掃除をしている命の後ろ姿に、声を掛けようと、口を開く。
だが、矢張り言葉が消えてしまった。


謝れば楽になれるかもしれない。
笑って、誤魔化して、謝って…そうすれば、楽になれる。

元来楽観的な性格だから。
ずっとそうやって生きてきたのに。

口に出せないのは、


謝った後の、命の反応が、怖かったからだ。




姿を直視出来なかった。


「景兄さん、」
「…何だ」

何度も何度もその声で呼ばれた名前も、


「…やっぱり、いいです」

呼ばれる事が、怖いと思った。
聞き返す事も、出来ない程に。



途中。
命の携帯が鳴った。

その瞬間、二人してビクリと身を竦ませる。


会話の内容から察するに、如何やら望かららしかった。

相変わらず望は命を頼りにしている。
確かに、俺みたいな兄を頼るよりは、命の様なしっかりした兄がずっと頼り甲斐が有るだろう。
望は命に、甘えてる。
…それは俺も例外ではなかった。
俺は、命に心底甘えていたのかもしれない。

望が命に甘える。
そんな見慣れたはずの光景に、何故だろう、腹が立った。
…『命に甘えるな』等と人の事を云える立場じゃないくせに。


「分かった、今から行くから」

溜息交じりに命は言葉を紡いだ。
命は何時も、そうだった。
甘えると、それに答えて、甘やかしてくれる。
何処迄も。





命が無言で帰り支度をし、出て行った。
結局お互いに一言も口を聞かない侭。


脱力して、床に座り込む。
溜息を一つ吐いて、見慣れた部屋を見渡した。

そう言えば、部屋がやけにすっきりしてる。
違和感を感じ、その原因を探すべく、部屋をウロウロと探索した。

違和感の原因は直ぐに判明した。

俺の家に命が置いていた掃除道具が、全て無くなっていたからだ。

俺が何時迄経っても掃除道具を買い揃えたりしないから、
命が代わりに買ってきてくれた。

最もそれを使用するのは、買って来た命張本人だったが。



「マジか…、」

掃除道具を全て持って帰る、と云う事は。
若しかしたら、命はもう此処に来る気がないかもしれない、と云う事だ。

掃除道具が無くなった部屋は、掃除なんて出来ない。
イコール、命は俺の家には来なくなる。
用事が、無くなるからだ。

脳が鈍器で殴られた様に、眩んだ。


「勘弁…」

無意識に額を押さえて、壁に背中を預けていた。
ズルズルと、上体が沈む。


――――嗚呼、これがお前の答えなのか…。


そう思った。
そして、静かに、傷付いた。


そういえば。

俺は命が何時も部屋に来て掃除をしてくれると云う行為に対して、
お礼を言った事は有るだろうか。

…記憶にない。

多分、礼の一つも言わず、命の好意に只、ひたすらに、甘えてしまっていた。

考えてみれば、命がずっと此処に通ってくれる道理なんて一つも、ないんだ。
突然通わなくなる事だって、十分に有り得る。

しかも…あんな事をした後だ。

命は何時も見返りなんか求めずに、通ってくれてた。

それに対して、俺がしてやった事と言えば、
下手な茶を淹れたりする位だった。
しかも、数える程度。

下手ながらも、淹れた茶を持ってくると、命はほんの少し嬉しそうに微笑んだ。




         
 何ですか、これ。お茶葉が凄い浮いてますよ。

          悪いな。こんな風にしかつげないんだよ。

          景兄さんは、本当…不器用ですね。



綺麗に、微笑む、姿。

何が変わってしまったんだろう。
…俺が、か。
でも本当の所は、何一つ変わってなんかいない。

ずっと、ずっと、好きでは在ったんだから。




あれは何時だっただろう。
椅子に座って、珍しく命が居眠りしていた時。

伏せられた長い睫が、白い肌に影を落として、
僅かに開けられた唇から安らかな寝息が聞こえた。

寝ている、一目で分かるのに、
「眠ってるのか?」そう確認して、返事を返さない命に、



手を伸ばした。
指で、頬に触れた。



あの時も、衝動だった。

本当は、抱き締めたかった。
キスが、したかった。

そして、
僅かに揺れる睫。

咄嗟に恐怖を感じ、指を離した。



如何して、今迄、気付かなかったんだろう。
こんなにも、近くに居たのに。
…近すぎたんだろうか。



見抜かれる事、自覚する事、
そして、否定される事、

世間一般で言われる恐怖、
そんな事自分とは関わりのない事柄だと思っていた。

俺はそれを…認識していなかったんだろうか。

本当は、ずっと前から気付いていて、
それでも逃げていた。


あの時、命を抱き締めた事だって、キスした事だって、
全て、

衝動なんかじゃない。
ずっと、無意識に抑えて来た、願望だったんだ。









見慣れた景色を見渡す。
何時もと同じ風景なはずなのに、そこに何かが足りない。

音が、ない。
色も、ない。

全てが抜け落ちてしまった気がして、生まれて初めて恐怖を感じた。




――――抜け落ちた。

嗚呼、そうか。
命が居ないからだ。
此処に、もう二度と命が来ないかもしれないからだ。
俺はきっと、取り残されたんだろう。



何時から。

好きだったんだろう。

一体、何時から、











命は景兄さんから抱き締められた事は嬉しいので
割と普通に何時もの感覚+ほのかな期待を胸に
景兄さんの家に行く訳ですが
当の景兄さんとしましては
抱き締めた事が後ろめたいと言うか何と言うか…
ちょっとした罪悪感とか持ってる感じ??

と一々説明しなければいけない様な小説でスイマセン…

ちなみにまだまだ続きます